日本の聖地をめぐる 〜諸国開運巡礼記〜

神社仏閣、パワースポット、歴史、文化、旅の回想録などを綴ります。

【東京都台東区】上野東照宮 ☆戦禍を生き延びた金色の社☆

カムヤマト

東京都台東区、上野恩賜公園内に鎮座する上野東照宮を訪問。多くの観光客で賑わう公園の中心地からやや奥まった場所にあり、多くの建造物が江戸時代の創建時のまま現存していることから、歴史を伝える聖地であることが実感できる。


元和2年(1616)、駿府城で逝去した徳川家康公は久能山東照宮に葬られ、翌年、日光山の東照宮へ改葬。寛永4年(1627)、津藩主・藤堂高虎と天台宗の僧侶・天海大僧正は、高虎の屋敷地であった上野の地に東叡山寛永寺を創建し、家康公を「東照大権現」としてお祀りする境内社を建立する。その後、正保3年(1646)、家康公を祀る境内社は正式に宮号を授けられ「東照宮」となり、やがて寛永寺から分離することになる。


現在の御祭神は、初代将軍家康公のほか、8代将軍吉宗公15代将軍慶喜公の三柱。


表参道大石鳥居(国指定重要文化財)。寛永10年(1633)酒井忠世により奉納。備前の御影石が使用され、関東大震災の折にもビクともしなかったほど頑丈な造りである。


水舎門(みずやもん)。社殿前にある水舎の上屋を門として移築している。


参道の両側に並ぶ石灯籠。社殿造営の慶安4年(1651)に全国の大名から競って奉納されたもので、境内に約250基現存している。


社殿前を守護する狛犬は、三大石工の一人とされた「井亀泉」酒井八右衛門の作。その周囲に並ぶ銅灯籠(全48基)は、国指定重要文化財となっている。


徳川御三家からの銅灯籠(国指定重要文化財)。慶安4年(1651)、家康公の36回忌に際して、尾張・紀伊・水戸の徳川御三家から2基づつ奉納され、唐門の両側に設置。


唐門(国指定重要文化財)。正式名称は「唐破風造り四脚門」で、慶安4年(1651)造営。柱内外の四額面には、左甚五郎作の昇り龍・降り龍の彫刻があり、毎夜不忍池の水を飲みに行くという伝説がある。偉大な人ほど頭を垂れるということから、頭が下を向いているほうが昇り龍と呼ばれる。


拝観料700円で社殿のある神域へ。最初に目にするのは高さ約25メートル、樹齢600年以上といわれる御神木の大楠。「上野の祖木」とも呼ばれる。


江戸の各所で災いをもたらした狸を祀る栄誉権現社御狸様)。大正年間に東照宮に寄贈されてからは災いがなくなり、強運を授ける神様になったという。


透塀(国指定重要文化財)。慶安4年(1651)造営。菱格子の向こう側が透けて見えることからこの呼び名がある。社殿の東西南北を囲っており、色彩豊かな彫刻で装飾されている。


社殿(国指定重要文化財)にて参拝。三代将軍徳川家光公により、慶安4年(1651)造営。文化財保護のため、社殿内は非公開となっている。


右から拝殿、幣殿(石の間)、本殿で構成される権現造り。「金色殿」とも呼ばれる。


唐門左側の透塀前にある虎の親子の石彫。家康公の生まれ年、壬寅(みずのえとら)の彫刻と考えられているが、詳細は不明。


池之端参道に並ぶ石灯籠。その中のひとつが倒壊している。大地震でも揺るがない石灯籠が自然に倒れたとは考えにくく、人為的に倒されたものと思われる。


お化け灯籠。寛永8年(1631)、佐久間勝之より奉納されたもので、高さ6.8メートルという巨大さを誇る。同じく佐久間勝之が寄進した名古屋熱田神宮、京都南禅寺の大石灯籠とともに、日本三大石灯籠のひとつに数えられる。


上野東照宮の社務所で拝受した書き置きの御朱印。受付2名(女性)のうち、片方が外国人というのも、外国人観光客急増という昨今の事情に合わせた変化であろうか。


⛩️INFO

上野東照宮

東京都台東区上野公園9−88

電話:03−3822−3455


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【東京都台東区】東叡山寛永寺 ☆江戸城を守護する大寺院☆

カムヤマト

東京都台東区、かつては現在の上野公園全域が寺領地となっていた天台宗別格大本山、東叡山寛永寺を訪問。JR山手線・京浜東北線の鶯谷駅から徒歩10分に位置する根本中堂を皮切りに、上野公園内に点在する開山堂(両大師)、清水観音堂不忍池辯天堂などの名所を巡拝する。それぞれの寺務所で御朱印を拝受するという開運行脚の一日となった。


寺院の御縁起によれば、東叡山寛永寺は寛永2年(1625)、徳川幕府の安泰と万民の平和を祈願するため、江戸城の鬼門(北東方向)にあたる上野の台地に、慈眼大師天海大僧正によって建立される。東叡山という山号は「東の比叡山」に由来し、第4代将軍家綱公の霊廟が造営されてからは、徳川将軍家の菩提寺も兼ねるようになった。また山主(住職)に皇族をお迎えすることで、輪王寺宮という東日本唯一の宮家として認められ、格式と規模において全国屈指の大寺院となる。


しかし、幕末の戊辰戦争に巻き込まれ、多くの堂宇を消失。敷地の大部分は上野公園として整備されることになった。その後、根本中堂をはじめとして徐々に堂宇を再建。第二次大戦後は新たに霊園を造営するなど、広く檀家を受け入れながら江戸期の伝統を継承している。


元禄11年(1698)、五代将軍綱吉の時代に建立された当初の根本中堂は、戊辰戦争の際に焼失。現在の根本中堂は、明治12年に再建されたもので、川越喜多院と上野東照宮から頂いた部材を加えている。正面の厨子奥に安置された秘仏御本尊の薬師瑠璃光如来(国指定重要文化財)は、天台宗を開かれた伝教大師最澄自らが彫られたと伝えられている。また、堂内の天井絵「叡嶽双龍(えいがくそうりゅう)」は、令和7年、寛永寺創建400周年記念事業として、手塚雄二画伯により奉納された大作で、その迫力は天下無双と呼べるほどである。


延宝9年(1681)、四代将軍家綱の霊廟である厳有院殿の鐘楼に奉納された銅鐘。明治維新以後、根本中堂の鐘として現在地に移されたと伝えられる。現在も除夜の鐘や重要な法要の際に使用されている。平成18年、台東区有形文化財に登録。


徳川綱吉霊廟勅額門(国指定重要文化財)。根本中堂を建立した五代将軍綱吉は、宝永6年(1709)63歳で没し、同年11月に霊廟が竣工。明治維新以後、その大部分は解体されたり空襲で焼失しているが、この勅額門は戦禍を免れた貴重な遺構となっている。


徳川歴代将軍御霊廟(国指定重要文化財)。大部分の建造物は空襲で焼失するが、幸い勅額門と水盤舎は被害を免れている。寛永寺に祀られている将軍は、四代家綱公五代綱吉公八代吉宗公十代家治公十一代家斉公十三代家定公で、その宝塔は将軍の権威を今に伝えている。(※特別日のみ公開)


東叡山を創建した慈眼大師天海大僧正をお祀りする開山堂。天海大僧正が尊崇していた慈慧大師良源大僧正もお祀りしているところから「両大師」とも呼ばれる。


開山堂は正保元年(1644)に初建されたが、戊辰戦争で焼失。平成5年に現在のお堂が再建される。


寛永8年(1631)、天海大僧正によって建立された清水観音堂(国指定重要文化財)。京都東山の清水寺を模して建てられた舞台造りのお堂である。歌川広重が描いた一連の浮世絵『名所江戸百景』にも登場する「月の松」が人気。


御本尊は京都清水寺から御遷座された秘仏・千手観世音菩薩。平安時代の比叡山の高僧・恵心僧都の作と伝えられる。御開帳は年1回、2月の「初午法楽」の日のみ。


「月の松」から不忍池辯天堂方面を眺望する。


天海大僧正が琵琶湖竹生島になぞらえて建立した不忍池辯天堂。竹生島の宝巌寺から勧請した八臂大辯財天を御本尊としてお祀りしている。現在のお堂は昭和33年に再建。


根本中堂の秘仏「瑠璃殿」(左)と開山堂の「両大師」(右)の御朱印を拝受。


清水観音堂の「千手観世音」(右)と不忍池辯天堂の「辯財天」の御朱印を拝受。


寛永8年(1631)に建立された旧寛永寺五重塔(国指定重要文化財)。現在は上野動物園のほか、上野東照宮の境内からも見学できる。


寛永8年(1631)に初建された上野大仏。現在はお顔のみが残っているという。開堂時間が15時までということで、今回は間に合わず。写真は次の機会に紹介することにしたい。


⋯ということで、5日後に再訪。写真は昭和42年に建立された「大佛パゴダ」。堂内には御本尊の薬師瑠璃光如来、御脇侍の日光菩薩、月光菩薩を安置している。


寛永8年(1631)に建立された漆喰の釈迦如来を、明暦・万治の頃(1655〜1660)、木喰上人という僧侶が高さ6メートルの青銅の大仏として改造する。その後、関東大震災でお顔の部分が落ち、さらに第二次大戦の供出命令で胴体部分が徴用されてしまい、お顔だけが残されてことになった。現在は「これ以上落ちない大仏」として受験生に信仰されている。


INFO

天台宗別格大本山 東叡山寛永寺

東京都台東区上野桜木1−14−11

電話:03−3821−4440


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【東京都港区】芝東照宮 ☆家康公の寿像を祀る安国殿☆

カムヤマト

東京都港区、芝公園内に鎮座する芝東照宮を訪問。日光東照宮、久能山東照宮、上野東照宮とともに「四大東照宮」と総称される。御祭神は、死後、朝廷より「東照大権現」の神号を授けられた初代徳川家康公。江戸期には全国で500社を超える東照宮が建立されたが、現存するのは約130社といわれる。


神社の御縁起によれば、元和2年(1616)2月、駿府城で臨終間近にあった徳川家康公の病床に招かれた藤堂高虎と天海僧正は、末永く魂鎮まるところを作ってほしいと遺言され、翌元和3年(1617)家康公が還暦を迎えた記念に贈られた等身大の徳川家康寿像を祀る安国殿として、増上寺内に建造された。安国殿はその後、明治の神仏分離令により増上寺から切り離され、現在の芝東照宮となる。


天明8年(1788)に奉納された参道の狛犬。時代が移り変わった今も守護を続けている。


石造りの鳥居に掲げられた「東照宮」の扁額は平成12年に改修されたもの。


寛永18年(1641)、安国殿再建の際に三代将軍徳川家光公が手植えされたと伝わる御神木の公孫樹(いちょう)。東京都の天然記念物に指定されている。


手を近づけると自動的に水が出る最新式の手水舎、かと思いきや水は出ず。単なる故障か。


旧社殿は国宝に指定されていたが、戦災で焼失。現在の社殿は昭和44年に再建されたもの。等身大の家康公寿像が祀られているはずだが、外からは見えにくい。


三体の神様が合祀されている磐座(いわくら)。岩そのものを祀るという原初形態を維持。


芝東照宮の社号を墨書した御朱印と、同社作成の道中安寧守を拝受する。


⛩️INFO

芝東照宮

東京都港区芝公園4−8−10

電話:03−3431−9658(※芝大神宮社務所直通)


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