日本の聖地をめぐる 〜諸国開運巡礼記〜

神社仏閣、パワースポット、歴史、文化、旅の回想録などを綴ります。

【東京十社⑩】白山神社 ☆満員御礼!文京あじさいまつり☆

カムヤマト

東京都文京区、地下鉄都営三田線白山駅A3出口から徒歩2分、今年で第42回を迎える恒例行事「文京あじさいまつり」開催中の白山神社を訪問。この日は開催初日の土曜日ということもあり、立錐の余地もないほどの人出で、イベント終了時間の午後4時を過ぎても参拝客であふれている状況だった。地元の人ばかりでなく訪日外国人の姿も多く見受けられ、国際的にも広く知られている様子がうかがえる。


神社の創建は第62代村上天皇の御代である天暦2年(948)、「加賀一之宮白山比咩神社を今の本郷元町に勧請したのが始まり。建武4年(1338)、足利尊氏公により国家平安御祈願所に命ぜられる。元和2年(1616)、徳川秀忠公の命により、小石川白山御殿に遷座。慶安4年(1651)には徳川家綱公の用地となり、明暦元年(1655)、現社地移奉となる。その後当社は明治元年勅祭神社に準じられ、東京十社のひとつとなった。


梅雨入り直前の晴天日というのも、多くの人が詰めかける要因か。


手水舎もいつになく激混みで、なかなかお清めの順番が回ってこない。


現在の拝殿は明治32年に建立され、昭和8年に改修。主祭神は菊理姫命(くくりひめのみこと)で、伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉冊命(いざなみのみこと)を合祀。夫婦神の仲を取り持ったことから、縁結び・良縁・夫婦円満の御神徳があるとされる。


拝殿前を守護する金色の目の狛犬が大迫力。江戸中期の安永9年(1780)奉納。


こちらは参道の反対側を守護する阿形の狛犬。頭の上に宝珠がついている。


拝殿の裏手に回ると本殿が見える。こちらも咲き誇るあじさいが美しい。


あじさいまつりの期間限定で入山できる白山浅間神社(通称「おやま」)も長蛇の列。


おやま」開放は6月6日(土)〜14日(日)、午前10時から午後4時までという狭き門。


おやま」の頂上には御祭神・木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を祀る小さな社が鎮座。


境内社の関東松尾神社。主祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)、中津島姫命(なかつしまひめのみこと)で、酒造りの神として信仰を集める。


仮設ステージで行なわれた地元高校生による和太鼓の演奏。


文京区政80周年」を記念して設置されたあじさいウォール


参拝後は「あじさいまつり」限定御朱印を拝受。


白山神社の参拝で「令和8年度東京十社巡拝」をコンプリート。各神社で拝受したミニ絵馬10種類を配置した「東京十社巡拝記念絵馬」が完成する。


⛩️INFO

白山神社

東京都文京区白山5−31−26

電話:03−3811−6568


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【東京都足立区】西新井大師 ☆関東屈指の厄除け大師さま☆

カムヤマト

東京都足立区、東武大師線の大師前駅から徒歩5分、関東厄除け三大師のひとつに数えられる西新井大師を初訪問。正式には「五智山遍照院總持寺(ごちさんへんじょういんそうじじ)」と称する真言宗豊山派の寺院である。開創は平安時代の天長3年(826)、弘法大師が関東巡錫(じゅんしゃく)の際に当地を訪れ、悪疫流行に苦しむ村人たちを救うべく、十一面観世音菩薩と御自身の像をお彫りになり、21日間の護摩祈祷を行なったところ、御自身の像を安置した涸れ井戸に清水が湧き、村人の疫病を平癒させたことが起源と伝わる。


その井戸がお堂の西側にあったことから「西新井」の地名になったという。江戸時代には、当山はおもに女性の厄除け祈願所として名を馳せるようになり、現在では厄除けばかりではなく、男女を問わずさまざまな諸願成就に御利益のある護摩祈祷の霊場として、関東一円の信仰を集める大寺院となっている。


参拝客を迎え入れる豪壮無比な山門は、江戸時代後期に建立。両脇には金剛力士像を祀る。


江戸時代より「いぼ取り」その他に霊験があると伝えられる塩地蔵。お堂内の塩をいただき、その功徳を得た場合は、倍の塩を奉納する習わしがある。

御真言:おんかーかーかびさんまえいそわか


延命水洗地蔵尊。この地蔵菩薩を信仰すると、十種の福徳が授かり、特に寿命長遠の功徳があるという。弘法大師御降誕1200年の記念として建立された。

御真言:おんかーかーかびさんまえいそわか


樹齢700年と伝えられる藤の木。4月中旬頃より開花し、優雅な香りで境内を満たす。


御本尊の十一面観世音菩薩と弘法大師を祀る大本堂。毎日6回の護摩祈祷が行なわれる。


堂内では午後12時半の護摩祈祷、その外では鉢植えの紫陽花が満開を迎えていた。


四国八十八箇所お砂踏み霊場。十一面観世音菩薩と厄除け弘法大師の功徳を一時に与えてくれる礼拝所。基壇の周囲、石坂の下には、四国霊場と高野山の霊砂が敷かれている。十一面観世音菩薩像の背後に、修復作業中の弘法大師立像が見える。


稚児大師尊像。弘法大師の神童の誉れ高く、すべてに秀でていた幼少時代の姿が刻まれている。子育てや学業成就などの御利益をいただけるという。


十三重宝塔。塔身には高祖弘法大師の御影を謹刻し、内には仏舎利(お釈迦様の遺骨)一粒と、弘法大師ゆかりの聖地より取り寄せた白砂聖石が埋納されている。


如意輪堂女人堂)。本尊如意輪観音は、衆生の苦を除き楽を与える慈悲深き観音菩薩。当山はいつの頃からか女人の諸願成就に霊験ありとされ、その功徳多きゆえに「女人堂」と伝えられ、衆生の帰依とともに今日に至っている。

真言:おんはんどま しんだまに じんばらうん


境内の最奥に位置する奥の院。高野山奥の院を関東に奉迎して当地にお祀りしている。かつて、このお堂の前に御霊屋影見の井戸があったことから「関東の高野山」と称され、高野山の代拝所として広く信仰され続けている。

                         

三匝堂(さんそうどう)」は江戸時代に流行した仏堂の一形式で、俗に「栄螺堂(さざえどう)」とも呼ばれる。関東以北の寺院に相当数建てられたらしいが、現存する遺構は極めて少なく、東京都内では明治17年に改築されたこの堂のみ。


宇宙に遍照する理知の法身体として尊ばれている大日如来尊像は、修験道に名高い出羽三山の一つ、湯殿山の大日如来を勧請したもの。文政年間(1818〜31)の建立であるという。

真言:おんばざらだどばん


厄除弘法大師」と墨書された御朱印を拝受。参拝日は令和8年6月1日。


INFO

西新井大師 總持寺

東京都足立区西新井1−15−1

電話:03−3890−2345


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【東京都台東区】五條天神社/花園稲荷 ☆上野公園の鎮守☆

カムヤマト

東京都台東区、上野公園内に鎮座する五條天神社花園稲荷神社を訪問。二つの神社は隣り合わせに位置しており、東側の参道に関しては同じ鳥居を共有している形なので、事実上同じ境内に鎮座する双子神社として、どちらにも手を合わせる参拝者が多い。


五条天神社は、第12代景行天皇の御代(西暦110年頃)、日本武尊が東夷征伐の途上、上野忍ヶ岡で難に遭われた際、薬祖神二柱(大己貴命少彦名命)に御加護をいただいたことに感謝し、両神をお祀りしたのが創祀とされる。出雲国で兄弟の縁を結ばれた両神は、初めて国民に薬の術と病を癒す方法や、お酒の作り方等をお教えになり、国土の開発に力を入れた神様として親しまれている。その後、江戸時代の初期の寛永18年(1641)に、連歌の宗匠瀬川家で歌道の祖神として信仰されていた菅原道真公が合祀されることになった。


現在の社殿は昭和3年造営。幸いなことに戦禍での焼失を免れている。


5月の大祭で渡御される御神輿。訪問したのは当日祭(大祭最終日)の午後であった。


花園稲荷神社の社殿。創建の時期は不明だが、もともとの名称は「忍岡稲荷」で、古くからこの地に鎮座し、石窟の上にあったことから俗称「穴稲荷」ともいわれていた。その後、承応3年(1653)、天海大僧正の弟子・本覚院の住僧晃海僧正がお告げを受け、廃絶していたお社を上野の守護神として再建。明治6年に「花園稲荷」と改称し、五條天神社が同地に遷座されたのを機に現社殿が造営される。御祭神は倉稲魂命(うがのみたまのみこと)。


忍岡稲荷」(俗称:お穴様)の旧跡。扉の奥は特別な御神域となっており、撮影は禁止されている。お穴様の左奥に鎮座するお社は、古書に弥左衛門狐と記され、寛永寺ができる時に忍岡の狐が棲むところがなくなるのを憐んで建てたという伝承がある。


毎年11月の秋季大祭で渡御される御神輿。


参道に奉納された千本鳥居は、人気の写真スポット。


「花園稲荷神社」の提灯が吊るされた、南側の参道入口。


上野公園鎮座「五條天神社」の御朱印を拝受。


上野公園鎮座「花園稲荷神社」の御朱印をは拝受。


⛩️INFO

五條天神社

東京都台東区上野公園4−17

電話番号:03−3821−4306


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